AZ-OKABE

A&Z 岡部パソコン教室の発信です

なぜ今頃過去のエッセイを?

30代から50代にかけて、ヘラブナ釣りにのめり込んでしまいました。

その間、月刊雑誌社専門誌のお誘いを受けて、ちょくちょく投稿するようになり、

さらに誘いを受けて、2社の月刊誌に釣行紀、エッセイを連載するようになりました。

それから17年から、20年くらい?経ってからでしょうか、雑誌社のおもわくを気にして「取材」をするようになった自分が嫌になり、いつの間にか筆を置くようになりました。

今回、掲載させていただいたものは、たまたま教室の書棚にあったもので、ほとんどが、屋外の倉庫に大量に残っています。

これもそろそろ整理して捨てなければならないので、記念塚として、この場に残しておこうかと考えた次第です。

 

ここで活躍してくれたのは、Googleのキープメモです。

雑誌の文面、4段縦書きの記事を写真を撮るだけで、見事に取り出してくれました。

取り出した文章をほんの少し編集するだけでこのブログに掲載することができたのです。すごいですね。

ただ行間に不自然な箇所があるのは、このブログ編集そのものの欠陥かも?と思っております。

ご容赦をお願いいたします。

 

エッセイ 生命  岡部 朗  (月刊へら鮒1993年10月号より)

夜の8時すぎ、高校三年の娘が帰
ってきた。
部屋に入ってくるなり、私と家内
の前に立ちはだかって、勢い込んで
言った。
「さっき、公園で猫が二匹、ぐった
りなって死にそうになっていてん。
病院に連れて行って、注射打っても
らって少し元気になったんやけど、
どないか救けてやって」
よく聞くと、声の終りが震えてい
る。 しかられるのが分かっていて、
それでも、懸命に訴えようとする意
気込みからであろう。
家内の反応はすぐであった。
「あんたは何を考えているの。団地
で動物飼ってはいかんことになって
いるでしょう。すぐに元いたところ
に帰してきなさい」
「そんなことでけへん。可愛想や。
このままおいてきたら、絶対に死に

よる」
「そんなこと言ったって仕方ないで
しょ。どうにもできないんだから。
早く捨ててきなさい!」
家内の声は徐々に鋭く、響きも強
くなってきた。
娘は私の目を見た。娘は懸命であ
る。よく見ると涙を溜めている。
娘と私とが顔を見合わせているの
を感じ取って、家内が間髪を入れず
に割り込んできた。
「すぐに捨ててきなさい!」
「そんなこと言ったって。そんなこ
と言ったって・・・・・・」
娘は泣きだした。
私の胸は痛んだ。このまま捨てる
ことは、猫も可愛想であったが、娘
の心情がそれにも増して可愛想であ
った。
「よし。今、猫はどこにいる」
「森君の自転車のカゴの中。 家の前
で待っているの」
私はソファから立って受話器を取
り、猫好きの姉のところに電話した。
「久美子が猫二匹拾ってきたんやけ
ど、姉貴のところで面倒見てやって
くれへんかな」
答えは明確であった。
「ダメ。アカン。今、私んとこ、猫
1匹おんねん。この猫が近所のいろ
んなところに行って悪さするから、
苦情が出てしょうがないねん。可愛
想やけど、ウチでは無理や。あ、そ
や。ウチのお寺さんが猫の世話しと
るわ。何やったら、そこに連れてい

き」
私は、猫の体力の回復を待って、
土曜日の休みの日に、車で姉と一緒
に猫を連れて寺に行く約束をして電
話を切った。
後から娘に聞くと、6時すぎにポ
ーイフレンドと公園を散歩している
時に猫を見つけたとのこと。二匹と
も元気はなく、うち一匹は、息絶え
絶えであったとのことである。
二人とも、このまま放っておくと
死ぬと思ったらしく、すぐに病院へ
連れていって看てもらった。
注射を二本ずつ打ってもらって、
だいぶ元気になった。薬とペットフ
ードをもらって帰ってきたとのこと
である。かかったお金は三千四百円。
大学一年のボーイフレンドが出した。
しかし、助けてみて、ハタ、と困
った。 ボーイフレンドの家は、大の
動物嫌いで、私の家は動物を飼って
はいけない団地である。 思案したあ
げく、私の家の前まで連れてきて、
今、森君の自転車のカゴに入れてい
るのである。
私は娘に言った。
「今回はお父さんがちゃんとしたる。
しかし、次はあかんで。 もし、また
捨て猫や犬を見たら、必ず通り過ぎ
なさい。見たり触ったりしたらあか
ん。情がうつるさかいに」
娘は涙を拭きながら、こっくりと
うなづいた。


私は今回の娘の行為を、煩わしい
と思う反面、実は嬉しくも思った。
娘は取り立てて動物好きではない。
犬などが通り過ぎると恐がって逃げ
るくらいである。
それでも瀕死の猫を救ったのは、
とりもなおさず、生命をいとおしみ、
生命を終わらせたくないという強い
意欲と同情を持っていたからである。
このことを裏を返して言えば、娘
自身が人生を楽しみ、味わい、生き
ることの素晴しさを、身をもって感
じているからこそ、生命の貴さを感
じることができるのである。
すさんだ気持ちであれば、決して
救わなかったであろう。
その意味で、救うか救わないかの
判断は、人生をいかに評価するかに
かかっていたと言って過言ではない
と思う。
私は、今度の土曜日、その寺に行
くことで、約束していた友人との釣
行に参加できなくなったが、娘の生
命を惜しむ気持ちを摘み取らないこ
との方が、一回の釣りより、何十倍
にも増して重要と考えた。


私には、過去、捨て猫についての、
暗い、苦い思い出がある。
私が小学校四年、兄が中学二年の
時である。
近所のわんぱく連中と、広場で野
球をしての帰り、広場の端の方で、
異様な光景を見た。
3、4人の小学校一、二年の子供
が、穴の中に三匹の小猫を生き埋め
にしているのである。
小猫は、いずれも大人の手の平ほ
どであったが、一種のパニック状態
になっていた。上からかけられる砂
をかぶりながら、懸命に穴から抜け
出そうとしている。
私は側に行って、大声でどなった。
「お前ら何しとんねん。そんな可愛
想なことしたらあかんやろ」
子供達は、私の大声に少し振り返
ったが、すぐに私を無視して今まで
の作業を続けた。
子供達の目は異常である。嗜虐の
狂気に犯されている目である。
「止め、言うたら止めんか!」
子供達は、揃って私をにらみ返し
た。
その時、私の兄が側に来た。
「アキラ、止めとけ、放っとけ」
私には意外な言葉であった。何と
兄は、止めに入っている私を止めた
のである。
「何言うてんのん。兄ちゃん、こい
つら放っといたら本当に殺しよる
で」
私は必死に言った。
「うるさい。黙れ。今この猫拾って
何になるんや。ウチで飼われへんし、
他の者も飼われへん。いずれのたれ
死にしよんのや」
この後、しばらく兄弟喧嘩をした。
最後は、兄が私の顔をなぐって終止
符が打たれた。
私は泣きながら、兄の後ろについ
て家路についた。
猫の必死の泣き声が、背中を向け
た私の耳に執拗に響き渡った。

あの時のことは、現在に至るまで、
生々しい記憶となって残っている。
生命を見捨てたこと。このことは、
私の一生の心の傷になってしまった
のである。

 

AZ90の例会が奈良県の分川池で
行なわれた。分川池は関西でも屈指
の魚影の濃さを誇る池である。
1投目からウキが動き、2投目で
早々と1枚目が釣れてきた。
5、6投打つと、ヨタべらが水面
に姿を現わし、それと同時、すぐさ
まウキが入っていかなくなった。
練って練って練りまくって、やっ
とエサが持ち出した。
アタリはエサ落ち前、立ってすぐ
のカチっとしたものである。
回りを見るとあまり竿を絞ってい
ない。へら鮒の猛烈な攻撃に、上ズ
リやら、エサが持たないやらで、四
苦八苦しているようである。
3時間も調子よく釣ると、不思議
なもので、ヘタな私も名手のような
余裕が出てくる。
余裕が出ると、口元が軽くなり、自
然と回りの者にちょっかいをかける。
私の右は竹中政三郎氏、その右に
雨宮氏、その次の右に青木会長であ
るから、私の軽口を何人もが受け止
めてくれる。
話の中味は、もっぱら、ののしり
合いである。
青木氏のハリスが切れれば「ヤッ
タ、ヤッタ」と喜び、私の道糸が切
れれば「ええぞ、ええぞ!」とはや
し立て、雨宮氏の竿が持っていかれ
れば、「雨宮さんにはウキ要らんで」
と、みんなで笑う。
話は、私の子供に聞かせると、あ
きれるような幼稚なものである。
それでも、全員が素直な気持ちに
なって、からみ合う。からみ合うこ
とで連帯感は増す…………。
冗談を飛ばし合いながら、その合
い間に、ふっと昨日のことを思いだ
した。
昨日、姉と一緒に寺へ行った。お
坊さんが出かけていたので、後日挨
拶することにしてダンボール箱に入
れた猫を、そっと置いてきた。
猫は本当に小さい。しかし、体力
はほぼ回復し、ペットフードも食べ
られる状態にまでなった。

なんとか生きていけるだけのことは

自分達でしてやったように思う。
娘は十分に納得していた。
「よかった」と、心から思いながら、
空を見上げた。
私の記憶 、小学校四年の暗い忌
わしい思いが、今回の善行で帳消し
になって、私の胸の内からなくなら
ないかと思った。
相当無理して、何とか救ってやっ
たのである。
しかし、やはり、ここまで考えが
至ると不思議なものである。
またしても「ニャー、ニャー」と必
死になって穴から抜け出そうとした
三匹の猫の姿が、昨日のことのよう
に、くっきりと脳裏によみがえった。
「フー」
誰にも悟られないように、一人溜
め息をついた。

エッセイ J.S.バッハ  岡部 朗  (月刊へら鮒1993年2月号より)


私には、へら鮒釣り以外に趣味が
ある。
読書と音楽である。
特に音楽との付き合いは古く、物
心ついた時には、音が私の肌にしみ
ついていたと言っていい。
私の生まれは四国の愛媛県である。
伊予土居町というひどい寒村で、
あまり高くないが、それでも切り立
った荒々しい肌をした山脈が、小さ
い村に覆いかぶさっていた。
そのふもとから坂を下って、北へ
30分ほど歩けば海に突き当たった。
私の家は、その道のりの中程にあっ
て、隣りに小さい小学校があった。
当時、私の家は文房具屋と駄菓子屋
を営んでいたが、回りには学校以外、
全く人家のない一軒屋だった。
私はこの土地に六歳までいた。
母はラジオが好きであった。朝、  
ラジオ放送の始まる時間になると、
必ずスイッチをひねり、終日、床に
入るまで聞いていたものである。
もう40年くらい前のことであるか
ら、当然NHKしか流れる筈はなか
ったが、当時、夕方の4時すぎに「夕
ベのリサイタル」か何かのタイトル
で、クラシック音楽、とりわけて室
内楽が放送されていた。
私はこの放送を毎日のように聞い
たものである。
外でドロンコになって遊びから帰
り、一歩家の中に足を踏み入れた時、
夕暮れの炊事の御飯を焚く臭いに混
じって「音の洪水」が家中を満たし
ていて、その音の迫力に圧倒された
のを、いまだによく覚えている。
音楽は、遊びの興奮の残滓と疲労
を―――枯淡、幻想、夢想のふくよか
な世界で、きれいさっぱり洗い流し
てくれた。
母によると、私はその音楽に聞き
いったまま、しばらくぼんやりとし
ているかと思えば、そのまま寝入っ
てしまうことがよくあったとのこと
である。
いずれにしても、私はこの音楽放
送の無意識のファンであったことに
違いなかった。

6歳の時、大阪に引越してきて、
環境が変わり、一時的に音楽を聞く
こともなくなり、音の快楽を忘れか
けたが、小学校に入ってから、また
音楽に親しむことができた。
私の通った小学校は、閉門の時間
が決められていて、子供達に閉門の
時間を知らせ、帰宅を促すために音
楽を校庭一杯に流す習慣があった。
流れていた音楽はシューマンの子
供の情景の中の「トロイメライ」で、
本来ピアノ曲であるところを、チェ
ロで演奏したものである。
長いこと音楽を忘れていた私は、
最初にこの音楽に接した時、心から
酔いしれてしまった。
音が肌から通ってくるのである。
音そのものが存在物で、空間を飛
び回り、そのこと自体が快楽で、そ
の快楽が、限りなく優しく、限りな
くふくよかで、限りなく冷たかった。
この音楽を聞いてからというもの、
夕方の校庭にたたずむのが私の日課
になった。
学校から帰り、自宅近くで遊んで
いても、この音楽を聞くために、飽
もせず、毎日、わざわざ学校に行き、
音楽が終わるまで校庭にたたずんで
いたものである。
それからどうか......
現在でもやはり音楽を求めている。
音の快楽を、今になっても飽くこ
となく求めているのである。
最近、J・S・バッハを良く聞く。
音の響きが厳格で、限りなく冷た
く、枯淡で音の空間は無限のように
感じられる。
この感動を、とても言葉では表
すことができないが、いずれにして
も、この音楽に接すると、現実の生々
しい世界はきれいさっぱり脳裏から
なくなるのである。
現在聞いているのはCDもあるが、
主にステレオテープで、音楽はNH
KのFM放送 「朝のバロック」から
頂戴したものである。
音楽を聞くのは車の中。とりわけ
て一人での釣行の行き帰りが主になる。
夜が明けきるか切らないかの朝、
太陽が沈むか沈まないかの夕方の時
間がほとんどなのである。
朝夕とも音楽を聞くのには最良の
時である。
このことは、音楽好きの誰もが
認めることであろう。

三山木新池に着いたのが11時10分。
事務所の窓から、柿木和彦氏、吉
川正幸氏が、3号桟橋南寄りにいる
のを確認した。
食事を終え、さっそく道具を担い
で吉川氏の横に入る。
見ると吉川氏は、1.5mのタナで頻
繁に鋭いアタリを出している。 乗る
確率は低いものの、食い気のあるへ
ら鮒が十二分に寄っているようである。
私も1mのタナに決めた。
竿9尺、ウキ 堀作カヤ。道糸バリ
バススーパー1号、ハリス同14号、
30、4㎝。ハリ上グランバリ5号、
グルテンバリ2号である。
4~5投のエサ打ちでウキに変化。
きれいにナジんでいたウキが、心な
しかナジミが遅くなったと思いきや、
トップ中央でフッと戻すような動き
をする。
上ズリに注意を払い、一投一投丁
寧に打ち込むと、ウキの動きはさら
に激しさを増した。
ウキはまるで動物のようである。
動きには自然があり、生命がある。
生々しく、たよやかで、食った時の
アタリは、へら鮒の荒々しさを十二
分に表わす。
このたよやかさと、食った時の
荒々しさとの対称が、まさにへら鮒
釣りの楽しみの核心なのだ。
他に大きな魅力がもう一つある。
それは、へら鮒との掛け引き、い
わば、手品師のようにウキの動きを
自在に扱い、次々食わせていくこと
である。
前者は感性の楽しみであるが、後
者は知性(判断)の楽しみである。
一投ごとの動きを見て、次々変幻自
在の対応をする。そして、決まった
時の喜びは「納得」であり、自分の
判断の実証なのだ。
「へら鮒釣りは奥が深い」と、よく
言われる。
これは、技術的に、ベストはあっ
ても完全がなく、いつまでも到達点
がないことと、へら鮒の状態が、短
期的、長期的に変化し、その状態を
常に追いかけなければならないから
であろう。
楽しみに完全な到達点がないので
あるから、これほど深く味わえる趣

味は、またとないのである。
しかし、だからと言って、へら鮒
釣りは芸術ではない。
美しい自然を見るように、接する
人の主観によって、その評価や感じ
方は、まちまちで良いのだ。
以上の考えから、私は競技だけの
釣り、勝つことだけの釣りには、疑
問を感じざるを得ない。
私は思う。ウキの動きや、へら鮒
の引きに魅力を感じてへら鮒釣りに
入ってもよい。また、若い人のよう
に競技から入っていっても良い。正
直なところ、私も競技の釣りが好き
だ。しかし、へら鮒釣りを深く味わ
い、楽しむということが底辺に流れ
ていなければ決して本人にとって楽
しくないと思う。
無味乾燥な「つらい釣り」に変わ
るのである。
へら鮒釣りは、幸運にも人と人と
のつながり、交流を作る土台があり、
ましてや自然が対象なのである。

深く味わい、総合的にーーー人生を

楽しむように釣りと親しむ。

このことが絶対大切と思う。

 

2年前の3月の雨空の下で、インストラクター

の小池氏と2人きりで釣りをしたことがある。

氏はヘラブナ釣り界を代表する一人

であるが、超一級の名手が、一枚一枚

上がるヘラブナを、ニコニコして
実に嬉しそうに玉網に収めていたの
を強烈な印象として覚えている。釣
りをこれほど深く味わい、これほど
愛しているのかと感動したものであ
った。


エサが合ってきた。入れ食いとま
ではいかないが、コンスタントに釣
れ出した。
ここで、エサを変えたり、ハリス
を変えたり、可能な限り、貧弱な思
考力を絞り出して、更に釣れる工夫
をする。
田中弘雪氏が来て柿木氏の隣に入
った。しばらくすると立石氏やAZ
90の青木雅人氏もわれわれの側にや
ってきた。
人が集まれば、自然に冗談が飛ぶ。
集中攻撃を受けているのは、もっぱ
柿木氏である。
エサ落ち目盛で止めて、ナジミ切
ってすぐに当る理想の動きで、コン
スタントに釣れ続いている。
人々の笑い声は、その合い間を縫
って青空の下を飛びかった。
釣りは楽しく、人々の交歓も極め
て楽しい。
人生がいつもこのようであれば良い。

つくづく思った。


帰りの道は、くろんど池から交野
に抜ける道をとった。
この道は、枚方市の裏に当ってい
て、山を抜け、森を抜ける。うっそ
うと繁る木々の間を、急な坂道を、
上り下りしながら40分ほどの道のり
を経て、1号線に抜けるのである。
三山木を出ると、すぐにステレオ
のスイッチを入れた。
バッハのブランデンブルグ協奏曲
いきなり狭い車内に満ちた。
音は車の中だけにとどまらず、す
ぐさま森の中にあふれ出た。
木々の間に、木々の葉と葉の間に、
冷たい弦楽器の音が飛びかい、ふく
よかな通奏低音が豊饒な森の地面を
這い、フルートの音が限りなく冷た
い響きとなって空間を飛び回る。
音はそのまま存在物となり、みご
と調和を持って私の皮膚に吸いつ
いた。
音はそのまま消えずに「残像」を
残して継続する。
釣行の、心地よい疲労感のある精
神に枯淡な陶酔がとり囲んだ。
気持ち良い、実に気持ち良い。 快
楽は肌を通り越し、骨の髄まで溶か
す勢いである。
日は落ち、太陽の光の残滓が森を
赤く染める。
「美しい。美しい」
幾度も幾度も感動している内に、
国道1号線に出た。

エッセイ 爆発医者  岡部 朗  (月刊へら鮒1993年1月号より)

不整脈多く、再検査必要あり」
これは、先日受けた人間ドックの
結果である。
不整脈は、健康人でもよくあるも
のであるが、ただ私は、心臓には自
信があった。少々ハードに体を酷使
しても、強心臓が核となって、私の
健康を支えてくれるものと、生まれて
この方、思い込んでいた。
その健康の核が、弱音をはいてい
るというのである。それだけに精神
的なショックは大きく、一気に私の
気持ちは憂うつになった......。


気がつくと診察室の中にいた。例
の回る椅子に座らされており、私の
前には白衣を着た男が対座していた。
頭がばかに大きく、毛の濃い男で、
太い黒ぶちの眼鏡をかけていた。
眼鏡の奥から、鋭い目がそそがれ
ていて、いまにも立ち上がってなぐ
りかかりそうな勢いである。
その男は、大きな声で言った。
「君、嘘をついちゃいかんよ。心電
図をもう一度確かめてみた。君の言
うような仕事の疲労の蓄積による不
整脈なんかでは決してないよ」
私は恐る恐る聞いた。
「それでは一体、何が原因だとおっ
しゃるので……」
「この不整脈は、いわば瞬間的に、
自分の運動能力、ないしは精神集中

能力を超えたことによる、心臓への
負担によるものだ」

医者はまくしたててから更に射る
ような目を私に注いだ。
「君は、仕事以外に何かハードなこ
とをしているだろう」
「図星です。ヘラブナ釣りをしています」

「だろう、だろう」
医者は急に機嫌よくなった。
「して、運動として、いわばヘラブ
ナ釣りという行為の中で、どれが最
も激しい運動かね」

私はボンヤリした頭で考えた。
「そうですね。ヘラブナ釣りには、
合わせという行為があります。魚が
エサを食った時、ウキに反応が現わ
れるのですが、その瞬間に竿を上げ
るのです」
「どのように上げるのだ」
私は右手を前に突き出し、教科書
どおりの突き合わせをしてみた。
それを見た医者は、みるみる顔が
赤くなった。口びるが紫色に変化し
かけた時、けたたましい声が発せら
れた。
「嘘をつくな!」

私は身をすくめた。
「そんな合わせで心臓が悪くなるか!」

私はやむなく白状した。
「すみません。嘘です。実はこのように」
私は医者の前で、いつものような、
思いっきり水面をたたく 「必殺二段
合わせ」を試みた。
「そうだ!それだ!それが原因だ!」
医者は興奮して言った。そしてや
や興奮が収まってから、
「運動はこれで理解できた。次は神
経だ。運動だけでは、こんな不整脈
は現われん。合わせる時の精神状態
はどんなだ」
「精神状態?。精神状態と言いまし
ても、ウキが動くので、〝しめた"と
思って合わせるだけですから」
医者はまたも見るまに顔を赤くし
た。
「嘘をつくな!」
二度目の怒声が診察室にこだまし
た。
「はい、はい、白状します。白状致
します。実は私はウキに全神経を集
中しています。魚が食った信号、こ
の信号は、私の快楽の接点、いわば、
自然の法悦の接点なのであります。
これには言い知れぬ感動があります。
私は単純バカですから、この感動が
人一倍強く、心臓をもみつぶすかの
ような感情に襲われます。私は二段
合わせをしてお見せしましたが、実
は三段合わせ、四段合わせをしても、
この感動を補うことができないの
です。ことに野釣りなどの一回目の
アタリなど、10段合わせ、 20段合わ
せをして、心の感動に報いたいと思
っているくらいです。それともう一
つ白状致します。私は玉網に魚を入
れる時、この時ほど幸福を感じるこ
とはありません。私は幸福のあまり、
竿を立て、玉網を水面につける、い
わば手をハの字にした時に、目をむ
く癖があります。これも多分に心臓
を悪くしているに相違ありません」
「よく言った。よく白状した。気が
楽になったろう。苦しいにもかかわ
らず、正直に言ったことは非常に立
派だ」
私は苦しいとも、楽になったとも
思っていないので、齢がいもなく照
れてると、
「よし、君の正直に免じて、一つ特
別の検査をしてやろう。いいか、こ
の検査は特別だから、私の気持ちに
心から感謝しなければならんよ。こ
れに耐えると君が健康であることが
証明される」
と言うなり、大きな深呼吸を始め
た。その深呼吸は長い長いもので、
5分、10分と続き出した。
「スーーー!」
これだけ空気を吸い込めば、さぞ
かし胸が膨らむかと思いきや、何と
顔が、顔だけが、見るまに大きくな
ってきたのである。しわの入った顔

の皮膚が次第に張ってきて、徐々に
薄くなり、皮膚が赤くなってきて、
とうとうかけていた眼鏡が破れ飛ん
だ。
顔は更に大きくなり、2倍ほどに
なった時、恐怖していた私も、顔を
近づけた。
「先生!だいじょうぶですか?」
言った矢先、 思いっきり閉じられ
ていた医者の口が、顎の付け根まで
割れ、200ホンを超すかのような猛烈
な声が、診察室に響した。
「うおー!」


私はびっくりして飛び起きた。起
きると同時、周りをきょろきょろ見回
した。何とあのすさまじいショック
検査に耐えたのだ。心臓は力強く脈
打ち、体の奥からもりもり力が湧い
てくる。ふと時計を見る。 7時10分
を指していた。
家内は、私の横で、週末の睡眠を
むさぼっている。
私は服を着て、家を飛び出した。
三山木新池に着いたのが8時10分
であった。
道具を担いで三号桟橋に入る。道
具をセットしていると、吉川正幸氏
がにこにこしながらやって来た。
「道具は?」
「今日、車を工場に持っていくんで
車検ですから」
吉川氏は当地の常連で、最近、特
に親しくなった。昼から一緒に釣ろ
うと約束して別れた。
第一投が8時40分。10分、20分と
エサ打ちを繰り返すが、ウキに変化
は見られない。
三山木は、10月に入って釣りが更
に難しくなった。もちろん、エサは
両ダンゴであるが、なかなか落とす
アタリを出してくれない。 最近、青
木雅人氏に教えてもらった。
「今の時期、下バリにややねばるダ
ンゴ、上バリにやや開くダンゴをつ
けると良く釣れる」
私はこのエサ付けで、最近好調で
ある。この好調がいつまで続くかわ
からないが、 とにもかくにも、 最近
ごきげんである。


一時間ほどすると、調子良く釣れ
出してきた。回りがあまり絞ってい
ないだけに気持ち良い。調子が出て
きたところで、空を見上げた。今日
は天気予報がはずれて、雲一つない
青天である。抜けるような空を見上
げたまま、医者の事を考えた。
「あれからどうなったろう。医者は
あのまま、口が割れて死んでしまっ
たのだろうか? とすると、身を呈
して、私の検査をしてくれたことに
なる」


昼前、吉川氏が道具を担いでやっ
てきた。見ると後から中井範夫氏も
続いている。
吉川氏が左、中井氏が私の右に入
り、三人で競技を始めた。
吉川氏は、オールラウンドをこな
す名手で、今回は8尺のチョーチン
をするとのこと。ランディズ昨年一
位の中井氏は、1mのタナを始めた。
競技となると真剣である。三人が
三人とも、ウキに鋭い視線を向けた。
中井氏がすぐに調子に乗り、入れ
パク。吉川氏も、私も、ぽつぽつ調
子が出てきた。
二時頃、吉田茂氏が、私の側にや
ってきた。吉田氏は、70歳手前であ
るが、何十年に亘って高山ダムに釣
りのロマンを追い求めてきた。彼は、
私の横で、 高山ダムの近況を静かに
語り始めた。
「今年は、あきまへんね。まだ三枚
だすわ(40㎝上)。去年も悪いと思う
ていましたけど、今年はそれ以上に
悪いだす。私ももう年だす」
吉田氏は空を見上げた。
「あと何年、山に登れるか。それを
思うと淋しくなります」
私は高山ダムの青々とした広大な
水面を思った。切り立った山々と、
真っ平らの水面、この対象の美しさ
の中には、人間の老いてしまうこと
を惜しむ気持を、強烈な強さに昇華
する力を持っている。
私は心から、吉田氏が、これから
何年、何十年と山に通える健康を維
持されることを願った。
吉田氏と入れ替わりに、今度は柿
木和彦氏がやってきて、私の横に座
った。氏は電気工事の社長さんで根
あか人間、少しアルコールが回って
いて、いつも以上に口が回る。
全員が全員とも、めいめいウキを
見ている。しかし、気持は話の中で、
釣り談義に花が咲いた。
西の空が赤くなった。みんなの話
を聞きながら、青い空を見上げても
う一度思った。
「医者はどうしたろう」
何んの意味もないのに、
何の意味もないのに、夢の医者に
心の中で感謝した。



Googleキープで縦文字も抽出できるようになりました!!

Googleキープで横文字文書の文字を抽出できることは、このブログでお伝えしました。

今度は驚くべくことに、縦文字もOCR機能で文字抽出できるようになったのです。

やり方は同じ、

1、Googleキープを開く

2、下中央の写真のマークを押す

3、写真を撮るを押す

4、縦文書をカメラ範囲に入れてシャッターを押す

5、右下の写真を使用を押す

6、撮影できた写真の上を押して全画面で開く

7、右上の3つの点(3点リーダ)を押す

8、「画像のテキスト抽出」を押す

9、撮影した文書の下に文字の抽出ができました。

 

現時点では、横文字の文章のように完全に近いとは言い難く、正確性に難がありますが、それでも十分それを使って別アプリで編集が可能と思います。

新聞の切り抜き保存も、これを使うと簡単に保存の助けになると思います。

パソコン教室を運営し始めた経緯

12年前の2月に大阪府高槻市からここ緑ヶ丘に引っ越してきました。

中古で購入した平屋1戸建ての四角い住宅は、たまたま6畳1部屋だけ南にせり出していました。後ほど聞くと、以前の住人が増設したとのことでしたが、これが私のパソコン教室開設の気持ちに火をつけてえくれました。

元々大阪の方で、パソコン教室をされていた塾に、当時サラリーマンだった私は、夜間だけ講師として2年ほど勤めさせていただいた経験があります。

しかし、パソコン教室を運営する立場になると、簡単には決心がつきません。もう一度、1から勉強し直し、これで大丈夫と判断した9月から開講しました。

開講と同時、緑が丘全域、富士見が丘の一部の住宅にビラを配って歩きました。

反応がすぐにありました。9月の終わりにお一人、10月には、3、4人の方から連絡があり、生徒になっていただき順調に進み始めました。

以前のブログでも書きましたが、当初は、ワード、エクセル、ウィンドウズを教えてきましたが、途中からタブレットスマホの質問が多くなりました。

これに合わせ、次々新たな知識も得ながら生徒さんの求めに応じて、いろんなジャンルのアプリのレッスンをメニューに加えて、現在に至っています。

1つのせり出した部屋が、私の人生に花を添えてくれました。

リビングに2つのストーブ。

左が、開放式石油ストーブ。

右が、石油ファンヒーターです。

これに加え暖房器具としては、エアコンがあります。

今季の冬は寒い!!

家内が大寒波が来る前に、「災害用に」と電気に依存しない開放式石油ストーブを購入したのですが、これがたまたま大当たり!

我がボロ屋のリビングは、18畳。今季に限り、石油ファンヒーターとエアコンでは、とてもとても過ごせなかったと思います。

これを購入したおかげで、凍えることなく暖かく過ごせております。

みてください。「火」が見えます。直接石油を燃やし熱を放出してくれているのです。

もちろん石油ファンヒーターも燃やしているのでしょうが、火力、パンチ力が違いました。

家内の「災害用に」の思いつき購入に、感謝しきりです。