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A&Z 岡部パソコン教室の発信です

エッセイ 生命  岡部 朗  (月刊へら鮒1993年10月号より)

夜の8時すぎ、高校三年の娘が帰
ってきた。
部屋に入ってくるなり、私と家内
の前に立ちはだかって、勢い込んで
言った。
「さっき、公園で猫が二匹、ぐった
りなって死にそうになっていてん。
病院に連れて行って、注射打っても
らって少し元気になったんやけど、
どないか救けてやって」
よく聞くと、声の終りが震えてい
る。 しかられるのが分かっていて、
それでも、懸命に訴えようとする意
気込みからであろう。
家内の反応はすぐであった。
「あんたは何を考えているの。団地
で動物飼ってはいかんことになって
いるでしょう。すぐに元いたところ
に帰してきなさい」
「そんなことでけへん。可愛想や。
このままおいてきたら、絶対に死に

よる」
「そんなこと言ったって仕方ないで
しょ。どうにもできないんだから。
早く捨ててきなさい!」
家内の声は徐々に鋭く、響きも強
くなってきた。
娘は私の目を見た。娘は懸命であ
る。よく見ると涙を溜めている。
娘と私とが顔を見合わせているの
を感じ取って、家内が間髪を入れず
に割り込んできた。
「すぐに捨ててきなさい!」
「そんなこと言ったって。そんなこ
と言ったって・・・・・・」
娘は泣きだした。
私の胸は痛んだ。このまま捨てる
ことは、猫も可愛想であったが、娘
の心情がそれにも増して可愛想であ
った。
「よし。今、猫はどこにいる」
「森君の自転車のカゴの中。 家の前
で待っているの」
私はソファから立って受話器を取
り、猫好きの姉のところに電話した。
「久美子が猫二匹拾ってきたんやけ
ど、姉貴のところで面倒見てやって
くれへんかな」
答えは明確であった。
「ダメ。アカン。今、私んとこ、猫
1匹おんねん。この猫が近所のいろ
んなところに行って悪さするから、
苦情が出てしょうがないねん。可愛
想やけど、ウチでは無理や。あ、そ
や。ウチのお寺さんが猫の世話しと
るわ。何やったら、そこに連れてい

き」
私は、猫の体力の回復を待って、
土曜日の休みの日に、車で姉と一緒
に猫を連れて寺に行く約束をして電
話を切った。
後から娘に聞くと、6時すぎにポ
ーイフレンドと公園を散歩している
時に猫を見つけたとのこと。二匹と
も元気はなく、うち一匹は、息絶え
絶えであったとのことである。
二人とも、このまま放っておくと
死ぬと思ったらしく、すぐに病院へ
連れていって看てもらった。
注射を二本ずつ打ってもらって、
だいぶ元気になった。薬とペットフ
ードをもらって帰ってきたとのこと
である。かかったお金は三千四百円。
大学一年のボーイフレンドが出した。
しかし、助けてみて、ハタ、と困
った。 ボーイフレンドの家は、大の
動物嫌いで、私の家は動物を飼って
はいけない団地である。 思案したあ
げく、私の家の前まで連れてきて、
今、森君の自転車のカゴに入れてい
るのである。
私は娘に言った。
「今回はお父さんがちゃんとしたる。
しかし、次はあかんで。 もし、また
捨て猫や犬を見たら、必ず通り過ぎ
なさい。見たり触ったりしたらあか
ん。情がうつるさかいに」
娘は涙を拭きながら、こっくりと
うなづいた。


私は今回の娘の行為を、煩わしい
と思う反面、実は嬉しくも思った。
娘は取り立てて動物好きではない。
犬などが通り過ぎると恐がって逃げ
るくらいである。
それでも瀕死の猫を救ったのは、
とりもなおさず、生命をいとおしみ、
生命を終わらせたくないという強い
意欲と同情を持っていたからである。
このことを裏を返して言えば、娘
自身が人生を楽しみ、味わい、生き
ることの素晴しさを、身をもって感
じているからこそ、生命の貴さを感
じることができるのである。
すさんだ気持ちであれば、決して
救わなかったであろう。
その意味で、救うか救わないかの
判断は、人生をいかに評価するかに
かかっていたと言って過言ではない
と思う。
私は、今度の土曜日、その寺に行
くことで、約束していた友人との釣
行に参加できなくなったが、娘の生
命を惜しむ気持ちを摘み取らないこ
との方が、一回の釣りより、何十倍
にも増して重要と考えた。


私には、過去、捨て猫についての、
暗い、苦い思い出がある。
私が小学校四年、兄が中学二年の
時である。
近所のわんぱく連中と、広場で野
球をしての帰り、広場の端の方で、
異様な光景を見た。
3、4人の小学校一、二年の子供
が、穴の中に三匹の小猫を生き埋め
にしているのである。
小猫は、いずれも大人の手の平ほ
どであったが、一種のパニック状態
になっていた。上からかけられる砂
をかぶりながら、懸命に穴から抜け
出そうとしている。
私は側に行って、大声でどなった。
「お前ら何しとんねん。そんな可愛
想なことしたらあかんやろ」
子供達は、私の大声に少し振り返
ったが、すぐに私を無視して今まで
の作業を続けた。
子供達の目は異常である。嗜虐の
狂気に犯されている目である。
「止め、言うたら止めんか!」
子供達は、揃って私をにらみ返し
た。
その時、私の兄が側に来た。
「アキラ、止めとけ、放っとけ」
私には意外な言葉であった。何と
兄は、止めに入っている私を止めた
のである。
「何言うてんのん。兄ちゃん、こい
つら放っといたら本当に殺しよる
で」
私は必死に言った。
「うるさい。黙れ。今この猫拾って
何になるんや。ウチで飼われへんし、
他の者も飼われへん。いずれのたれ
死にしよんのや」
この後、しばらく兄弟喧嘩をした。
最後は、兄が私の顔をなぐって終止
符が打たれた。
私は泣きながら、兄の後ろについ
て家路についた。
猫の必死の泣き声が、背中を向け
た私の耳に執拗に響き渡った。

あの時のことは、現在に至るまで、
生々しい記憶となって残っている。
生命を見捨てたこと。このことは、
私の一生の心の傷になってしまった
のである。

 

AZ90の例会が奈良県の分川池で
行なわれた。分川池は関西でも屈指
の魚影の濃さを誇る池である。
1投目からウキが動き、2投目で
早々と1枚目が釣れてきた。
5、6投打つと、ヨタべらが水面
に姿を現わし、それと同時、すぐさ
まウキが入っていかなくなった。
練って練って練りまくって、やっ
とエサが持ち出した。
アタリはエサ落ち前、立ってすぐ
のカチっとしたものである。
回りを見るとあまり竿を絞ってい
ない。へら鮒の猛烈な攻撃に、上ズ
リやら、エサが持たないやらで、四
苦八苦しているようである。
3時間も調子よく釣ると、不思議
なもので、ヘタな私も名手のような
余裕が出てくる。
余裕が出ると、口元が軽くなり、自
然と回りの者にちょっかいをかける。
私の右は竹中政三郎氏、その右に
雨宮氏、その次の右に青木会長であ
るから、私の軽口を何人もが受け止
めてくれる。
話の中味は、もっぱら、ののしり
合いである。
青木氏のハリスが切れれば「ヤッ
タ、ヤッタ」と喜び、私の道糸が切
れれば「ええぞ、ええぞ!」とはや
し立て、雨宮氏の竿が持っていかれ
れば、「雨宮さんにはウキ要らんで」
と、みんなで笑う。
話は、私の子供に聞かせると、あ
きれるような幼稚なものである。
それでも、全員が素直な気持ちに
なって、からみ合う。からみ合うこ
とで連帯感は増す…………。
冗談を飛ばし合いながら、その合
い間に、ふっと昨日のことを思いだ
した。
昨日、姉と一緒に寺へ行った。お
坊さんが出かけていたので、後日挨
拶することにしてダンボール箱に入
れた猫を、そっと置いてきた。
猫は本当に小さい。しかし、体力
はほぼ回復し、ペットフードも食べ
られる状態にまでなった。

なんとか生きていけるだけのことは

自分達でしてやったように思う。
娘は十分に納得していた。
「よかった」と、心から思いながら、
空を見上げた。
私の記憶 、小学校四年の暗い忌
わしい思いが、今回の善行で帳消し
になって、私の胸の内からなくなら
ないかと思った。
相当無理して、何とか救ってやっ
たのである。
しかし、やはり、ここまで考えが
至ると不思議なものである。
またしても「ニャー、ニャー」と必
死になって穴から抜け出そうとした
三匹の猫の姿が、昨日のことのよう
に、くっきりと脳裏によみがえった。
「フー」
誰にも悟られないように、一人溜
め息をついた。